どうも僕です。
皆さんは白洲次郎さんという方をご存知でしょうか?
知っている方からしたら
「何を今更言っているんだ小僧!!!」
なんて思われると思いますが、そんなに怒らんといてください。
何でもかんでも始めから知っている人間なんていないじゃないですか・・・笑
なので今回は僕の知識を増やすためだけに(いつもそうだけど)、書いていこうと思います。
ではれっつらご!!!
白洲次郎とは?
日本人の方で、1902年2月17日-1985年11月28日まで生きておられた方です。
日本の実業家&政治家だったそうですよ。
以下簡単にwikiから↓↓↓
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した。
この引用した文面だけみても、かなり凄いことをやっておられた方だったことは伝わりますよね?
吉田茂さんの近くで仕事をしていたってことが驚きですね。
そのあとは政治から身を引いて、実業家の道を歩まれたそうですね。
僕とは雲泥の差だなぁ・・・げぼっ
政治家だったの?
先ほども簡単ですが、政治家としての一面も見せてくれていた白洲次郎さん。しかも日本にとても光景された方だったそうですね。
以下Wiki以下の引用になります。
終戦連絡中央事務局
1945年(昭和20年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。GHQの要求に対して白洲はイギリス仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張し、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた[12]。
昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせたといわれる[13]。
この文章見て震えましたよ。w
無知な僕でも知っている、マッカーサーに対してこの姿勢。本当に一体何者なのこの人は。笑
このお方にだけではなく、どんな相手だろうと自分の信念を貫く男だったそうです。
このお方みたいに、どっしりとした男になりたいもんですね・・・うっ
実業家だったの?
はじめの方でも触れましたが、政治家だけではなく、実業家としての一面も持っていたようです。
戦後の国を立て直そうと奮闘したようなので、とても感謝しないといけない方だということはわかります。
実業界へ復帰
吉田側近であったころからすでに公社民営化を推進しており、1949年(昭和24年)には日本専売公社が発足している。そして1951年(昭和26年)5月には、日本発送電の9分割によって誕生した9つの電力会社のうちの1つ、東北電力会長に就任した。また、9電力体制を作った「電力王・電力の鬼」松永安左エ門の私的シンクタンク・産業計画会議の委員に就任した。
就任の同年福島県の只見川流域が只見特定地域総合開発計画に指定されたことから1959年(昭和34年)に退任するまで、只見川流域の電源開発事業に精力的に動き奥只見ダムなどの建設を推進した。
また当時東北地方で開発可能な水力の4分の3を有していた只見川[18]の水利権を巡って、古くからの権利を主張して徹底抗戦してきた東京電力に対し、当時の野田卯一建設大臣を説得して、水利権を東北電力に切り替えるという超法規的措置を引き出した。これによって、東北電力繁栄の基礎が築かれた。
東北電力退任後は荒川水力電気会長、大沢商会会長、大洋漁業(現マルハニチロ)、日本テレビ、ウォーバーグ証券(現UBS)の役員や顧問を歴任した。
しかも頭が悪い僕でも聞いたことがあるような企業ばかりに携わっているのが、凄い・・・
忖度だけで慣れるものではないと思っているので(イメージ・・・)本当にすごい人だったんだなと感じました。
まとめ
どうだったでしょうか?
こんな偉人を最近まで知らなかった僕は素直に驚きました。笑
こういう人が世の中を変えていってくれたんだと思うと、改めて自分とは全然違うなと感じます。
これからも少しずつ歴史を勉強していきたいと思います。
今回もありがとうございました。
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